かたちづくる何か

大体昼間のこと

どうやって仕舞おうか。

言われて嬉しかった言葉も、見て心動かされた芝居も、美しい音楽もいつか消えてしまうから。こっそりどこかに仕舞っておきたい。

でも、悲しいことにわたしの記憶は結構その場かぎりでぽぽぽと消えてしまう。幸せも、悔しい失敗も悲しい出来事も知らぬまにすーっと心の中に染み込んでわたしをかたちづくっていると信じているの。そのかたちのない記憶が、潜在的に私の選択や感情を司っているって思っている。

今日、小さい心の宝物が増えました。

職場で業務上で全く関わりはないけれど、密かに仲良くなりたいなぁと思っていたお姉様の同僚の方がいまして。誰に対しても穏やかだけど自分をもっているところが尊敬しているのです。フロアが違うから、なかなかご挨拶するタイミングが無かったんだけど、偶々会えて「私、やめます」と伝えた所、「私、はるかさんファンだったんだぁ」といっていただけた。笑顔が素敵なんだって。とっても、嬉しかった。マスクしていたからよかったけどむひむひしちゃったと思う。

こんなに嬉しいのに別の職場に行って、付き合いがなくなって、数ヶ月したら忘れちゃうんだよなぁ。悲しい。この気持ちをどうしてもどこかに仕舞っておきたい。仕舞っておきたいから、こうして、言葉にしてみた。

笑顔、ずっと大事にする。

絶対届かない人。

いつも底抜けに明るくて周囲を巻き込みながら進んでいける人。そんな人皆さん周りにいるんじゃないでしょうか。私の地元の先輩で(上下関係はあるものの、友達のようにタメ口で話させてもらっています)、そんな人がいました。ふざけているのに真剣、遊んでいるように見えてなんでも素早くこなす。本人には伝えたことはないけれど、ずっと尊敬する存在です。

今日、そんな人に5年ぶりくらいに再会しました。本当に久しぶりの知人と目があった時、一瞬「どんな反応しようか」思考する時間、あるよね。彼女にはそれがなく、同じ時間を過ごしていた時と変わらず声をかけてくれて、それもまた感激。仕事はお互い全く別な分野だけとそれぞれの悩みとか、別日に見た同じ舞台の話とか、絶対届かないのに、なんだか少しだけ近づけた気がして、少し涙が出そうになりました。あの勢いや回転の速さや明るさ全くそのままで私のエグめな二日酔いも秒で吹っ飛んだ。最高。

今日のことや、職場の先輩の営業スタイルとかをみて「この人にしかできないな」と思うことも多くあるけど、自分自身のよさも見つけてあげたいな、と思うのです。

あー、私も頑張ろ。

ひとりで生きていく

今日職場の先輩と少し先の将来について話しました。私は普段何となく生きていて、考えているようで何にも考えてないのだけど、ここ数年思うことがあります。学生時代は「どんな職場で働きたい」とか「(具体的に)どこで働きたい」といった気持ちが大きかったように思います。またまた、社会人としてペーペーだけれども、数年働いてみて思うのは、ありきたりだけれども、「何をしたいかではなく何ができるか」「自分をできるだけ認めてあげること」を考えなきゃいけないなということです。

今自分について考えた時、友達と遊んだり時間を過ごしたりする時間はだいすきだけど、ひとりでいる時間も大好き。今後の20年後、30年後を考えた時に、誰かと人生を共にするタイミングが来たとしても自分を大事にしていきたいなと思う。安定思考だけど、変化が好き、不安症だけど挑戦したい。自分のいろんな特性を認めてあげてちょうどいいところを突き進んでいきたいなと思うのです。そうしてできることを増やしていきたい。

それを総合するとまあぶっ飛びますが「ひとりで生きていく」という言葉になるんです。先輩に「ひとりで生きていきたいんです」と話したら、「また決めなくていいんじゃない?」と言われました。「ひとりで生きていく」は文字通りの意味だけでなく、何があっても揺らがない自分の軸と基盤が欲しいんですね。言葉足らずでうまく伝わらなかった…。人間誰も思うと思いますが、人生の拠り所が欲しい。私は全然自分を信じていなくて、頼りなくて、嫌なのだけれど、人生の標や信じられるものを少しずつ自分の中に創り出していきたいなと思うのです。

でも現実を、自分を直視していくのは怖いよね。

小さな傷

冬くらいに小さな心の傷を負いました。当事者も周りの同僚も「ふーん」という感じで、その反応から私自身も傷ついた気持ちにそっと蓋をしていました。そのことが直接的なきっかけではないのだけど、今の仕事を続けられるかって事と、将来を考えて退職することにしました。

唯一残っている同期とのサシのみの時にその出来事を、起こりから顛末までポツポツと話し終わった後、「それはあかんなぁ」と一言。ちょっとした一言だったけど、別部署で戦う彼の存在が、小さな心の支えになっていたので、なんだか心が、救われました。

うちの会社は良くも悪くも個人仕事で、だからこそ私自身は周りの人の機微に敏感であるように心がけてるけど、どうにもならないことも多くて悔しく思ったり。信頼関係とか、改善環境があって人間関係成り立つよね って話。

周りいい人だったから同僚と離れるのは寂しいけど、旅立ちます。今の職場はあと10日程度。出来ることはやって、残る人たちに託しましょう。

丸4年とちょっと、あっという間だったなぁ。

やればできる子

 

 

3/14、今日はやればできる子記念日。

すべきことは全部終わらせて、活動できた記念日。

 

私だってやればできるんだって思った嬉しさ。

 

まぁ明日はダラダラさ。

お腹すいて眠れないからこんなこと書いてみた。

 

わかを

誠実さ

 

 

自分がだめだなと思うのは誠実さに欠けるところである。

 

 

 

これって本当は1番だめなことなのだけれど、先を見越してだからこそ目の前にあることに誠実に向き合わなければいけないと思う。

 

けれどできない。反省してるとはいうけど、できない。なんで反省してないかというと、なんかもう、雑な性格なんだな、と思う。本当は丁寧にやりたいのだけれど、せっかちだし、なんか、ある程度決めたゴールにたどり着くことに別に魅力を感じないから、詰めが甘いし、やり遂げられない。

 

あと、忙しいのが無理なんだろうと思う。追われるのが無理で、いつも何かをしている人は尊敬する。いつからこうなったのだろうとは思うけれど。

 

 

でも焦燥感はいつもある。ずっと、ある。まぁこれはみんな一緒だと思う。

 

 

本当は丁寧に、誠実にありたいと思う。

永遠に対する恐怖

 

 

 

永遠に続くのではないかと錯覚する感覚が怖い。

 

子供の頃からふとした時につきまとう不安感覚なのだけど、いろんなものが永遠に続くように感じられて、怖い。
子供の頃は学校に通う日々が無限に続く気がして怖かったし、住んでる家も朽ちていくとは知りながらも永遠に私が知らなくなってもあり続けるんじゃないかって怖かった。

永遠に規則的に色を変え動き続ける信号とが苦手だし、寝てる間もずーっとつき続ける常夜灯も。自分の人生がこれからも続いていくかもしれないと思うことさえ怖いんだけど、なんなのかよくわからない。別に学校も人生も嫌いってわけではなくて、ワクワクするけどたまにそういう感覚に襲われる時がある。

 

子供の頃に感じてた学校に通う日常が永遠に続く感覚。もう、義務教育はとっくに終わって、大学にいて、日々違うリズムで過ごす日々。永遠はなくて確かに終わりを経験しているはずなのに、まだ怖い。

 

永遠のことを考えると、脳が酸っぱいものを食べた時みたいになって、鎖骨の奥に胃酸が溜まる感じがする。

 

多分私は変化を求めていて、かつ、日々の安息の時間を求めているのだと思う。

 

どうしても眠れない、夜の話。