かたちづくる何か

大体昼間のこと

食器と紙

夢を見た。

祖父母の夢。2人はまだ生きているんだけれど、私が幼い頃の姿で、実際のその頃よりも気さくだった。

 

私は家族の夢をよく見るのだけれど、両方の祖父母は一等よく見るかもしれない。

おじいちゃんの書斎に2人がいて、誰かよくわからない来客にお皿やきれいなハガキを譲っていた。下では両親がいたみたいだけれど。

 

昔は祖父母のこと苦手だった。今は大切だ。人間ってそんなもんだと思う。好きと苦手は固定概念じゃない。

 

そして、おばあちゃんのセンスはピカイチだ。あんなおばあちゃんになりたいとよく頭をよぎる。

 

 

柄について。

 

今日、新体操柄のルームパンツを買った。前から同じ素材のバレエ柄のパンツを持っていてはき心地いいし、このかわいいけどちょっと個性的な柄が気に入ってた。で、今日見つけた新体操柄は、遠くから見ると中国雑技団に見えて、結構気に入った。

 

もう一発みたときから買う気でいて、でもよーく観察して見るとちょっと違和感。でも、気に入ったに違いないから買って帰ってみて、違和感がわかった。同じような柄の配置で同じようなしなやかな人たちが描かれているんだけど、目があるかないかだった。

 

それだけでこんなにも違うんだね、って話。ない方が好みだけど、可愛いからきちゃう。

 

あんまり関係ないけど、前富士山のいいテクスチャのセーター見て可愛いって言ったらセンスが変って言われたことがあったなって思い出した。柄だけじゃないのよかわいいのはって思ったけど。

 

でもたしかに変な柄、好きなんだなぁ。

 

言葉を貯めること。

 

どうも。

最近生活の中で深く考えたり、それをまとめたりすることが少ないかなと感じていて、それが悔しくて嫌だな、思っています。

 

別に誰に発信したいとか深い意味があるものではなくて、脳の整理というか、まぁ言葉の貯金。

 

貯金はチョキンでもあって細かく切る音のチョキン。後から見返したらかなり恥ずかしいと思うかもしれないけれど、考えたことって消えるものなので、やる気の出たときに書き留めて、貝塚みたいに覗き見れたら面白いなとおもうのです。